ニョロカス春の京都旅行 〜出発から哲学の道へ〜
こんにちは、みなさん。僕はここにいる。
ずっと1週間落ち込みっぱなしで、気分も滅入っていたので気分転換に旅行へでかけた。
一応言っておくとうつ状態の時は、あまり楽しみに出かけるのはよくない。一般的に
辛いことの処理にも体力を必要とするが
楽しいことをするにも体力は消費するからだ
うつ状態というのは一般的に体力も気力もカラカラになるから、しんどい時に無理して楽しむのは良くないとの事。
でも、それは落ち込んでいる人を元気づけようと外部から働きかけられた場合に強いストレスとなることが多いからよくないのだと思う。
まぁ、なんにせよ本人が良ければ良いのである。
以前からずっと行きたかった哲学の道を目指し旅に出る。
眠いからコーヒーを飲みたいが、カフェインに弱いらしくこれまでも夜寝れないことが多々あったので、今回からカフェイン抜きコーヒーがメインウエポンとなる。
現地付近につくやいなや、便意と尿意のダブルパンチに襲われる。
排泄関係を昔からうまくコントロールできない僕にはいつものこと。
ぶっちゃけ、年に2回くらいは盛大に漏らすのである。
ここで、尿&便ブラザーズの話を書こうとすると全18巻になるのでそれはまたの機会に。
哲学の道は桜が咲いていてとても静かで良き場所でした。
小川が流れて、ゆっくり考えたり、
野良猫をみたり、
猫にエサをやるなという看板をみたり、
桜をみたり
エサをやるなと書いてあるのに全力で餌袋をもってきてエサをやっている人をみたり、
全域に渡って養蜂場があるのかというくらい、クマバチ(?)がいたり
なんか、意外と色々あって哲学に浸れない。
むしろ、これが哲学なのか。
端の方までいき、おにぎりがおいしそうなお好み焼き屋に後ろ髪をひかれながら進むと南禅寺があった。
なんでも、壁の上に水路があるらしい。
ただ、朝かなり早かったので入っても大丈夫かどうか不安になる。
過去に早朝ハイキングしていたさいに早すぎて寺のおっさんに怒られた体験があるからだ。
まったく、坊さんなんだから怒の感情をうまく処理してほしいものだが
逆にいうと、坊さんでも感情をコントロールするのは難しいらしい。
修行の道は長い。
水路はへぇーこんなんなってるんだーと思った。
ピタゴラみたいに全体像が見えたらより楽しめるのかもしれない。
途中ネズミの可愛い神社に寄り、セカンダリートイレを済ます。
行きの98倍くらいクマバチ(?)がいたけど、次第に慣れてくる。
仮に看板が間違えていて、哲学の道じゃなくてクマバチの道でしたーと言われたらスムーズに納得するだろう。
でも、すごく過ごしやすい気温で、ゆっくりとした時間が流れていて
楽しかったというよりは、心は乱されなかった。
喜怒哀楽もいいけれど、心の基線からちょっと上に幸福を感じるのが30代後半ごろから好きになった。
自分の家の近くでもこういった、心が落ち着く場所を探そうと思った「哲学の道」でした。
残りは後日
僕はここにいる。君はどこにいる?